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不器用なデザイナー

 

デザイナーの姿とは。

 

そもそも何かものを描いたり、

ものづくりに没頭する人間というのは、

人とうまくコミュニケーションできないことがしばしばある

と思うのです。

 

幼い頃から学校では浮いた存在で、

仕事を始めても、組織ではうまくいかなかったりする。

 

組織独自の大人の事情や、

相手を言いくるめてなんとかする、嫌なものも我慢する、

そういう大人的な妥協がとても苦手ではないかと思うのです。

 

常に自分は他人とズレている、

自分は人間として上手く生きていけないんじゃないかというような、

そんな焦燥感とか、辛さとか、孤独とかを抱える事があったりする。

 

だからそれを、文章とか、漫画とか、イラストとか、

映像とか、音楽などにぶつけて、

なんとか精神の安定を保っているという、

そういう危うい人間なんじゃないかと思うのです。

 

でもそういう危なさが、

これを書いて人に読ませたい、

このデザインを人に見せたい、

とい欲求に繋がったりする。

 

発散できなくなったら死んでしまうような人間なので、

そもそも自分の描くものや、

自分のデザインには、

コダワリがあるのです。

 

コダワリとは

「僕はこうだ」「僕はこう思う」「僕はこういう人間だ」

ということです。

 

日常の人間関係や話し言葉で、

そういうことを表現できないから、

文章や音楽や映像やデザインにぶつけるんです。

 

創ること自体が発散なので、

他人が作ったものを、

全く改変もせずにつかっても、

意味がないのです。

 

他人の作ったものを写しても、

自分の心の闇を解放できるわけではないですから。

 

デザイナーだけでなく

ものづくりが好きで強烈な作品をつくり続けるクリエイターは

とても不器用なんだと思うのです。

 


 

メモを日常に活かすために

デジタル化に取り組んでいます。

 

Mauve